寺院紹介

当山の正式名称は、瀧水山 金字院 長安寺と称します。

浄土宗(総本山は京都東山・知恩院)のお寺です。

天正年間(1573~1593)に寂譽上人により創建。現在の住職は第二十七世・法譽潤宏です。

第二次世界大戦による戦火で過去の歴史を知ることができる資料がほとんど残されておりません。昭和20年(1945年)1月20日の空襲により無縁塔に爆弾が落下し、本堂・書院・庫裡等に被害が出ました。されに3月13日の大阪大空襲で観音堂他一棟を焼失。ついで6月1日の大空襲で、ほぼ全ての堂宇を焼失しました。

現在、山門・御本尊・宝篋印塔のみが戦前から残っているもので、現存の本堂は昭和47年11月に再建、平成26年に大改修されたものです。

御本尊

【阿弥陀如来 立像】

像高五尺五寸(約1.7m)、下品上生の来迎印を結ぶ立像です。来迎印とは、阿弥陀如来のお救いを信じ、念仏を称える我々が臨終の際、極楽浄土から迎えに来る時に表すお姿です。

【2度の空襲を逃れて】

幸い2度の大阪大空襲の火難は逃れました。しかし、昭和25年(1950年)9月3日、大阪を直撃したジェーン台風により二階建ての仮設の建物が倒壊。それとともに御本尊が破損。京都の国宝修理所にて修理され現在の姿に修復されました。

【胎内奉加帳】

修復の際、胎内より当山に請来当時の奉加帳が見つかりました。それによると、寛文3年(1663年)、多くの信者からの寄進により、加古川市の鶴林寺より当山に請来された仏像であることが分かりました。制作時期は不詳ですが、聖徳太子御作と伝えられ、多くの参詣者により拝まれていたようです。

秋葉大権現宝篋印塔

当山に戦前から残る数少ない建造物の一つです。本堂前向かって右手に立つ全高約2.3mの石塔で、明和7年(1770年)に建立されたものです。

約30年間境内の別の場所に建立されていましたが、平成30年の境内改修の際、元の場所にお戻りいただきました。

遠州(静岡県)秋葉山(現秋葉神社・秋葉寺)を中心とした秋葉信仰は、おおに〔火伏せ・火難除け〕の神として江戸時代にはお伊勢参りに次いで人気の巡礼でした。関東・中部地方の人々を中心に盛んに参られたようです。

江戸時代は「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるように、江戸では火事が頻繁に発生しましたが、大坂でも「妙知焼け」「大塩焼け」「新町焼け」などの大火が起こり、大阪天満宮は江戸時代に七度焼失するなど、火事は人々の生活を脅かす大きな要因でした。

秋葉三尺坊大権現の誓願は、以下の通りです。

①失火と延焼と一切の火難を逃す。

②病苦と災難と一切の苦患を救う。

③生業と心願と一切の満足を与う。